私の昭和奏鳴曲-ソナター
人知れず生きた陰ひなたの人々
このブログ・ポッドキャストは、昭和という時代を、ただ単一の物語としてではなく、複数の層が同時に存在し相互に関係し合っていた時代を、さまざまな視点から、【ある昭和のエピソード】として書き綴っています。
昭和という時代は、表の社会のみならず、裏社会、家族・親族内の関係、地域との関係、制度の重層と隙間の混在。さらには、戦争、そして、その後の挫折・立志・復興・栄光から斜陽に至るまで、めまぐるしく流れたジェットコースターのような時代。まるで、あの時代そのものが生き物のようでした。
昭和の時代は互いに分断されることなく、様々な事象や人々の暮らしは、連動し合い、多重に重なりあいながら存在していました。
◆◆◆スピンオフの小さなストーリー◆◆◆
ブログと動画、ポッドキャストなどで、スピンオフ的に少し紹介させていただく作品群は、私が考えるところの「多層構造の昭和」__。その温度やにおいを感じられる情景の断片です。各記事を通し横断的に捉えることができると考えています。
そして、特定の人々の領域だけに限定されるものではありません。多様なタイプ、多様な領域の人間と環境が連動して登場するということです。それこそが、まさしく昭和であると考えています。
あの時代を描く私の小説は、裏社会に属する人物たち、そして、様々な場所で労働を担う者、家族関係の中で役割を持つ者、また政治や権力の周辺に関わる存在。落ちていく者、朽ち果てていく者、まつり上げられる者、踊らされる者、栄光を掴む者、静かに見送る者、ただ、そこに居続けた者……。多くの異なる領域に属する人物像が並置されます。
◆◆◆タイトルについて◆◆◆
タイトルに用いている「奏鳴曲(ソナタ)」という語は、個々の人びとの温度であり、気配であり、音であり、息遣いです。
そのバックグランドである「協奏曲」という概念は、個の物語(人生)が同時に存在し、それぞれが独立性を保ちながらも、温度のある距離で関係(共鳴・摩擦)し合うという、いかにも昭和的な構造です。
私の昭和協奏曲__と、しなかったのは、私自身の奏鳴曲(ソナタ)を軸にした作品が、執筆の骨子になっているからです。
日本は、個々の人々はそれぞれの人生軸を持ちながら、強く近く、時にはゆるく遠く、繋がりを保ち並行して、同じ時間を自然なこととして共有していた文化でした。
もしかしたら、
その「最後の時代」であったかもしれない
「昭和」という時代像にこだわっています。
◆◆◆ここは書庫の隅っこのデスク◆◆◆

このブログにおける内容は、生活史的側面と裏社会的側面と、現在未来の日本(世界)のこという3つの系統に完全に区切ることも可能です。
しかし、上記の説明のように、縦軸・横軸・斜め軸として同居していると考えています。
このような欲張りでマクロ・ミクロ混在した形で発信するのは、私個別の人物記憶の集積でもあります。
「昭和」という近代における一つの時代構造は、定点を変えるたびに、とても深く、いくらでも、言葉により浮彫にできるからです、
自分の書庫。その隅っこにある小さなデスクの上。
そこに開かれた過去の記録を、
私自身が見つめ、呼び起こし、書き溜めています。

