小説と生活に身近なエッセイを書いています。
小説は、フィクション、ノンフィクション、どちらも執筆しています。
『人と時代を描くこと』に徹底しています。
特に、「社会構造、人間は、表裏の二面では語りつくせない」という視点で書いています。
グレーゾーンの社会、グレーゾーンの心の揺らぎ……。
この雨雲の切れ間のようなゾーンに、多くの人は心を置いていると思うのです。ひとは、なんらかの揺れを繰り返しながら生きています。
心の琴線に隠れているもの、大切なものは言葉には出てこない。瞳が語ること、背中が語ること、その横顔が語ること。そういうところに視線をむけてきました。
そして……
これが、この世の本当の姿だと感じています。これをさらに言語化したいと、いつも考えてはいるのですが、まだまだ精進不足……。
社会の広い舞台で脚光を浴びる人達、尊敬される立場であろう人達、その後ろにいる有象無象の五分の魂の云々と言われる人たち。そして、忘れられた世間の片隅に生きる人たちの髪がはり付くような汗。様々な場面の笑顔。あるいはネイルの爪と指先が割れた爪……爪の垢。これらがつながっていく。私が書く小説はそういう昭和の空気です。
様々なコンフォートゾーンの人々が、実はとても影響しあい、絡み合い、交錯する中で、この社会は成り立っています。良いとか悪いとか、そういうベクトルではなく、とにかく、それが事実だということを書いています。
善悪の勧善懲悪の世界ではなく、そんなヒーロードラマの陰にいる人々の、小さなエピソードをひとつひとつ丁寧に拾い上げて、小説にしています。
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時代は、ずいぶん巡り、大きく社会も変わりました。社会的には、人の価値基準も変わりました。昭和を実際に生きてきた世代じゃないと、拙小説の空気感は、もうピンとこない世界になってしまったかもしれません。昭和は本当に遠くなりました。
淡々と昭和の記憶を、空気、匂い、呼び寄せて俯瞰で書いています。
そして、私が書くものは、普通の人たちは、想像もしないだろう、体験しないだろうという、私自身が生きた道程で経験し、見聞きし、身を置いてきた__。そうした空気のリアルを語る、数少ない語りべとしての側面もあると考えています。
ですから、これだけは断言できます。
私にしか書けないノンフィクションをもとにした、完全オリジナルです。
※このイラストは、実際の写真をAIでイラストにしたものです。女の子(私)、ちょっとかわいすぎます。弟は良く似ています。実際は、弟と喧嘩してふてくされた顔をして写っていたので「笑顔にして」と指示したところ、こんな可愛い女の子になりました💦
ベートーベンのピアノソナタ(奏鳴曲)は、どの曲も、
まさに昭和そのものです。
昭和を映し出したとき、ベートーベンのソナタの中から曲を選んで、BGMとして流したら、昭和ほど合う時代はありません。
まさに、昭和は「奏鳴曲」の世界でした。特に私自身の人生も、生まれた環境も、そして、幼いころから関わってきた人々、見聞きしてきた人々の人生も、すべて、そのように感じます。
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すべては、昭和という灼熱の時代の光と影です。
あの時代を生きた方々が、懐かしさとともに
その世界に戻れるような文章を、ずっと書いてきました。
光と影にはゆらぎがあります。
人はそのゆらぎの中で揺れながら生きていると
気づいたときに決めたのです。
「私自身、自分の人生そのものを、ずっと押し込めて、
蓋をしてきた出来事や気持ち……
その中で、じっと息を殺して生きてきた日々――」
私はその蓋を開き、17年前から、「光も影も」書き始めました。
(そのアクションが、ちょっと遅かった気もしますが……)
あたたかい陽だまりも、刺すような白い光も、
足がすくむような暗闇も、時とともに姿を変え、
やわらかな祈りへと変わっていくものなのだと知りました。
オリジナル曲の紹介や短編小説の朗読動画も、これから公開していきます。
ポッドキャストも2026年より再開します。
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音楽生成AIを使って、自作した詞に曲をつけています。
折角なので、これも『昭和』にこだわって作っています。
好みの曲というより、昭和を思い出させてくれるような、
有線で流れていたような、カラオケスナックで歌われていたような
曲作りをしています。昭和世代の方に楽しんでもらえたらなによりです。
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すべては「昭和」です。
昭和が、このブログのキーワードです。

新カテゴリー『提灯Labについて』は、👆こちらで説明しています。

ももたひとみ(とのうえ)
社会の影の部分や裏社会などに生きる人をテーマにしたフィクション、ノンフィクション小説
(エッセイや実用文などのジャンルでは、“とのうえ”としてキンドル本を出版しています。“ももた”とは、執筆ジャンルが違うので使い分けています。このブログは、どちらかというと、ももた色が強い内容になっています。昭和の回顧録的に部分が多いので___。
ノンフィクションのタブー『それでも、私が書く理由』(こころの変遷)
拙ブログ主について
60代後半です。シングルシニア歴、もうすぐ40年。パートナーは40年間、一度も無し。必死で生きてきた、失敗もたくさんした、どん底も味わった。子供は二人いましたが、ひとり他界しています。これ以上の地獄はないという地獄を味わいました。
地獄で生きてきた数十年を考えれば、今は、生きていることに感謝。
関わる人達に感謝。
ひとりしかいなくなってしまった、我が子へ感謝。
生まれたことに感謝。
今は、感謝で生きています。
数奇な星のもとに生まれた半生を恨んだことも、死のうとしたこともありましたが、今は、すべては学びのため、気づきの為、心からの感謝を知るためだったと、生まれた意味に気づき始めている感覚を持っています。
しかし、この年齢になってから、気づくなんて、
どれだけアホなのかとも思いますが……。
様々なことに感謝しながらも、時には、ブツブツ不満を言うこともあります。政治や社会の歪みに、批判的なことを言うこともあります。
しかし、
おおまか、
おおむね、
だいたいにして……、
人生に感謝。
おもちゃ箱をひっくり返したような、私の人生。
産んでくれた両親へ感謝。
「生まれる」ということは、それだけで宝くじに当たったようなもの。
命とは、そういうもの。波乱万丈は、体験の積み重ね。
たった一度の人生、折角生まれてきたのだから、なにもなかった人生より、ジェットコースターのような人生たった過去も、ひょっとしたら、中身が濃い、様々な体験ができたという意味で、学ぶことが多かったのかもしれないという「思い込み」で開き直っています。
もう、開き直って、ポジティブに生きなきゃ、損してしまうくらい
残りの時間は圧倒的に少ない。
泣いても一生。
笑っても一生。
怒っても一生。
喜んでも一生。
恨んでも一生。
感謝しても一生。
もう、これからは、どうせなら、心豊かに、安らかに生きたいのです。
そんな「今に至るまで」の、壮絶な人生のノンフィクションを小説にしました。
どうぞ、よろしく、お付き合いください。