日本人は、争いを嫌う。
誰かが強い口調で言えば、「まあ、今回は」と譲ってしまう。
その思いやりは美徳だけれど、度を越せば“隙”になる。
実際、いま外国人コミュニティの中で、「日本は押せば通る」という印象が広まりつつあるという。
声を大きくすれば通る、主張すれば変えられる――そう学ばれてしまった。
これは、善意の誤解を利用された形だ。
行政や学校が“波風を立てたくない”という理由で、
少数の要望に過剰に応じてしまう。
例えば、宗教的な理由で「豚肉を使うな」と言われれば、
全体の給食献立を変えてしまう。
もちろん、信仰の自由は尊重されるべきだ。
だが、「食べない自由」があるなら、「食べる自由」もある。
どちらかを消してしまえば、それは共生ではなく支配だ。
欧州では、こうしたケースに対して「公共の原則」を守る。
宗教に合わせるのではなく、宗教の側が調整する。
それが本当の多様性だ。
日本の問題は、宗教や移民より前に、大前提の“対応の姿勢”の甘さにある。
事なかれ主義が、結果として文化を削り取っている。
「ごり押しが通る」と思われた瞬間、日本の良さは壊れ始める。
日本の「和」は、黙ることではなく、礼を尽くして意見を交わすことだった。
静かであることは、従うことではない。
理不尽なことに「それは違います」と言える強さこそが、
本当の礼儀だと思う。
譲る優しさと、譲らない勇気。
その両方を持って初めて、
日本人の穏やかさは「誇り」に変わる。
ごり押しが通じる国にしないために――
必要なのは、声を荒げないまま「NO」を言える静かな強さだ。

