「進んでいる国」「遅れている国」という言葉に、私が違和感を覚える理由
以前、私は
「進んでいる国」「遅れている国」という言葉について、
違和感を覚える理由を書きました。
最近、日本に対して
「日本は遅れている」
「教育を変えなければ、もはや先進国とは言えない」
といった言葉を、耳にする機会が増えたように感じています。
特に印象的なのは、
30年ほど前までは後進国と呼ばれていた国々が、物理的・経済的に豊かになるにつれ、日本に対して、そうした評価を下す場面が目立つようになったことです。
もちろん、経済的な成長や物理的な豊かさは、
生きる上である程度大切な要素です。
欧米を中心とした価値観では、国の「進歩」や「成熟」は、GDPや利便性、所有物の量など、目に見える指標で測られることが多いのも事実でしょう。
しかし、日本は本来、
それだけで「豊かさ」や「成熟」を語る国ではなかったのではないか、
私はそう感じています。
「足るを知る」という言葉があるように、
日本には、物の多さや金銭的価値だけでは測れない、
心のあり方や、人との関係性を大切にする文化がありました。


