昨日が今日に変わっただけの令和8年。年末は、あわただしい中、一年ぶりに菩提寺にご挨拶にお伺いしてきた。
ご住職の奥さんは、亡くなった娘と2歳しか変わらないので、もう娘のような年齢。この間、生まれたばかりだと思っていた一人息子さんは、もう、中学受験だと聞いて、子供の成長はあっという間だなと思うと同時に、「ああ、私にも、そういう年齢の孫がいてもおかしくないのだなあ」と、少し寂しい気分もよぎったが、こればかりは仕方がないこと___。
去年、訪ねた時、「お父さんを尊敬している」ときっぱりと答え、自分も僧侶になると決めていると言っていた。
お坊さんも今は、はたから見るほど楽なわけじゃない。お寺にも階層がある。私の菩提寺は末寺といって、系譜の一番下の寺にあたる。実家の菩提寺は、この寺の一番上の親にあたる。これも偶然だ。
菩提寺の住職は、道を外した青少年たちの更生のための活動もしている。
保護司という役割。
出所した人たちが、定期的にお寺を訪ねてきて近況を話したり、様子を見て陰ひなたになり力になっている。
中には、凶悪犯罪を犯した人もいるだろうと、私が聞くのも変な話かもしれないが、「そういうの、怖くないんですか?」なんて、本当に、下品というか、ちょっと、人を見下すようなことを聞いてしまった。出所した後、その人たちがどのような心境で、お寺を訪れるかは、ひとつじゃないだろう。
もちろん、本当に心から反省し、自分を生きなおしたいと思い、住職との約束をきちんと守って、通ってくる人もいるのは事実なのだから、私はちょっとここは、自分が馬鹿に感じた部分。
本当に、この若いご夫婦(40代)には、頭が下がる思い。
「慈悲」というものを、娘の葬儀で出会った、このお寺から、たくさん学ばせていただいた。
そして、このお寺とのご縁は、もう、娘が生きていた時から、決まっていたことのようだ。
私は、娘が亡くなる一週間前に、車を運転して帰宅途中、なぜか深夜の山道で迷ってしまった。迷ってたどり着いたのが、このお寺の境内だった。
「あ、お寺?じゃあ、境内でUターンさせてもらおう」と中に車を乗りこんでUターンして、大きな道まで、なんとか出たということがあった。
これは、あきらかに、なんらかの力に導かれた「警告」だったのか、「お知らせ」だったのか。いずれにしても、出会うことが決まっていたお寺なのだろうと思う。

出会いというものは、本当に不思議なものだ。
そして、ずっと遠くに離れている実家のお寺が、なんとこのお寺の本寺だったという、これも偶然。すべて偶然だったのに、すべてつながっていた……。
私が心から「慈悲」と「感謝」を、震えるほどに感じた場所になった。
私自身も、直葬のつもりでいる。しかし、娘の葬儀は、従来式の一般的な通夜・葬儀という順番でフルで行った。
その娘の葬儀で、銅鑼や木魚のものすごい音が鳴り響いた意味を、のちに住職に聴いて、私は、あの銅鑼の音が、耳から離れない。
感謝の音……。
お寺との不思議な出会いと銅鑼については、キンドルで出版している私のエッセイでも触れている。


