昭和という時代__。
表舞台に立つ者と、その陰で静かに生き抜いた者たち。
政治の裏にいた人。居場所を失った人。夜の世界で生きた女たち。
貧しさに押し流された家族。誰にも語られなかった生活の痕跡。
華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、
温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような
昭和の断片を、書き続けています。
これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、
昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ソナタのピアノ旋律のように執筆中。

【文化基盤の崩壊と再生】自由の時代に、なぜ息が詰まるのか

提灯Lab

『個人の自由や自立が理想』という、明治、そして先の戦争後、日本に洪水のように流れ込んできた欧米型の思想と価値観は、平成以降、急速なスピードで広く深く浸透しはじめました。立ち止まり、今一度、確認することもなく、いわゆる「社会通念」として、日本の基本的な価値観となりました。

昭和の時代も、欧米型の個人志向が急速に流れ込み、特に若者には、その“いいとこどり”のような思考も増えました。しかし、欧米式の「個人主義」と「自由」は、「自由・権利」だけがセットになり、最低限の「秩序と責任」も、いつのまにか、少しずつ消えはじめ、平成から今にいたる変容に日本社会が崩れかけています。

しかし、私たちは本当にそれを心から望み、それこそが正しい道だと、おのおのが自分で考えて進んできた道でしょうか。私たちは、考える前に、すでに便利さと引き換えにして、共同体の安心・文化的土壌・家族観・地域の気配といった「人が人でいるための足場」を失ってきたのです。

その結果、多くの人が“空中に放り出されたような孤独”の中で浮遊し、自分の価値を「経済性」や「成果」で測られ、人生の意味は外注化され、精神は常時緊張し、精神性の揺らぎは顕著で、憎悪や他者への嫉妬、攻撃が増えたように感じています。

何が欠け、どこで折れ、なにを取り戻せば、私たちはようやく深い呼吸ができるのか……と考えます。

答えは、「回復」です。

日本はいつの間にか、バランスを崩し、歪んだ社会構造になっていませんか?

今、私たちは立ち止まり、一度、考える必要があるのは、『テクノロジーの発展と共に、人として、あるいは日本人としてのメンタリティ、価値観までを、そこに一緒に預けてしまうこと』それで本当に良いのかということです。

テクノロジーの発展をすべて否定するつもりはありません。そして、もうこれは止められないでしょう。
しかし、それに伴い、さらなる欧米的価値観に基づく新理論に、次々と心酔するのではなく、まずは、この国・日本の「文化基盤の検証と回復」が必要ではないでしょうか。

 

____おまけ____

AIに、すべて、まるっとゆだねる日本人たち。
所詮、日本製ではないAIは、国家戦略、浸透工作の武器になる日が、必ずきます。もう来ています。AIは、新時代のイ◎ズス会です。