昭和という時代__。
表舞台に立つ者と、その陰で静かに生き抜いた者たち。
政治の裏にいた人。居場所を失った人。夜の世界で生きた女たち。
貧しさに押し流された家族。誰にも語られなかった生活の痕跡。
華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、
温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような
昭和の断片を、書き続けています。
これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、
昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ソナタのピアノ旋律のように執筆中。

「フィクサーの娘」執筆

作品紹介

70才がリアルになった今「もうすぐ死ぬのに」と考えることが増えた。それは、決してネガティブな意味じゃない。
もっと淡々と乾いたものだ。年齢を重ねると、そんなものなのだ。

私は60才後半。家族はみんな死んでしまった。もうそろそろいいだろう。

墓場まで持っていくつもりだった、あんなこと、こんなこと、批判されようがそれも私の人生だ。卑屈に生きてきた、内緒内緒で生きてきた半世紀を、どこにどうやって抱えて墓に入るというのか。

『人生はゲーム』
その列車の操縦席に座れば、ミラクルなゲームに過ぎないのを感じるだろう。そして、帰る場所は皆同じ。

言っとくけど、「地獄なんてものはないからね」。
自分が地獄を作り出しているだけだ。

「私の人生は地獄だ」
なぜ、こんなところに生まれ、こんな人生を歩み、こんな風に思われ、こんな思いをしなきゃいけないのかと、宿命を恨んだこともある。

しかし、今は……。

そりゃ、今の時代の方々には、ヒンシュクを買うかもしれない。しかし、みんな、本当にそう思っているのか?

そう問いたくなるような、ギスギスしたことが多い今の世の中に、私は、「昭和を生きた人々の、数々の鮮烈な人生」を、たくさん残していきたいと執筆をつづけている。

人生ハードモード。
そんな人ばかり見てきた。
レッテル張りをした側が、
全面的善意の功を奏すように世の中を闊歩する時代。

そんな時代に、
私は、「フィクサーの娘」という小説に着手した。

60年以上前の私と父の写真をもとにAIでイラスト化したものの、部分的な切り抜き

60年以上前の私と父の写真をもとにAIでイラスト化した画像の部分的な切り抜き。あまり似ていない。